よくわからないタイトルですよね。
「音楽を聴く時は、音楽を聴こう」という文章が成り立つのであれば、「音楽を聴いている時に、音楽を聴いていない」状況が存在することになります。
こんなタイトルにしたのは、僕は「音楽を聴いている時に、音楽を聴いていない」状況が多く、聴きながらあれこれ分析するのに必死で、純粋に音楽を楽しめていないことに気づいたからです。
改めて無心で音楽に向き合うと、久しく忘れていた感動があったので、その楽しさについて書きます。
普段音楽を聴く時、どんなことを思っていますか?
楽器をやっている人にあるあるだと思うのですが、音楽を聞く時、技巧的な分析をしたり、批評してしまうことって多いですよね。
僕はドラムをやっているので、心地よいリズムを感じると、ドラム・ベース・上物がどのように関係しているのか、つい考えてしまいます。
音楽を聞く→心地よい→何故だろう?、とついつい分析してしまいます。
例えばDJをやっている人だと、その音楽がどういう意味合いで”使えそうか”を考えてしまうと思います。
サブスクで自分のプレイリスト作っている人は、プレイリストに入れるかどうか、どのプレイリストに入れるか、を考えてしまうと思います。
(何なら「このプレイリストを充実させたい」という動機で、次々と曲をジャッジすることもありますよね。)
こういう習慣が続くと、普段から義務感で、いわゆる「ディグる」行為を続けてしまいがちです。
これらの行為に共通するのは、数秒間音楽を聞いた後、あれこれ頭で考えることに集中してしまい、その後は鳴っている音を全然聞いていないんですよね。
このことに気づいた時、せっかく誰かが誰かのために作った音楽を、そんな風に聞くなんてもったいない!と思いました。
そして通勤中のわずかな時間でも、純粋に音楽を聞いている時間を作るようにしました。
無心で音楽と向き合うと語彙力が無くなります
出来るだけ何も考えないようにして音楽をきくと、とても気持ち良いです。
自分で作ったテクノのプレイリストを聴くと、ファーってなります。
セロニアスモンクを聴くと、へぇーってなります。
ドレイクを聴くと、おぉーってなります。
(出来るだけ頭を働かせずに聴くので、感想の語彙力が無くなります笑。)
何よりひとしきり聴いた後、頭がスッキリします。
今そこに鳴っている音に集中しているときは、過去や未来のことを考えないので、一種のマインドフルネス状態なのかもしれません。
最後に
「100年のジャズを聴く」というジャズ評論家3人の対談本があるのですが、その中で、素晴らしい音楽を表現するには、最終的に擬音語での表現になってしまうという記述があります。
例えば、「ソニーロリンズのこのアドリブのヒタヒタ感がたまらない」みたいな感じです。
プロの評論家でもそうなってしまうのですから、音楽の素晴らしさを表現しようとすると、最終的に語彙力が失われるのかもしれません。
頭を働かせたながら音楽を聞くことも大事です。
でも時々は、頭を空っぽにして、ファーってなりながら音楽を聞くと気持ち良いですよ。
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