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家庭を持つこと、音楽を続けること

仕事をして、家庭をもち、歳をとると、どうしても音楽活動の優先順位が下がってしまいますよね。
悲しいことに僕もそうで、忙しい日々の中で、全然新しい音楽を聞いていない、全然新曲を作っていない、全然ドラムを叩いていない、と凹むことが多いです。
「本当に音楽が好きなら、何としてでも音楽活動に時間を割くはず。自分に足りないのは情熱だ。」
と昔は思っていたのですが、情熱で無理やり睡眠時間を削ってDAWを触っても、後から体調不良になって、良いことはありませんでした。
ならいっそのこと、音楽という趣味を捨てようとしても、時が経つとまた新譜を聞いたりDAWを触ったりと、結局戻ってきてしまいます。
そんな揺れ動きを繰り返しながら、僕は自分が現役なのか死に損ないなのかわからないまま、今日も音楽についてブログを書いています。

目次

音楽を続けるって難しいよね

嫌な言い方になりますが、音楽ってコストパフォーマンスに優れた趣味じゃないと思うんですよね。
例えば、各種スポーツは健康維持やダイエットに役立ちますし、特にゴルフは会社でも役に立ちます。
料理や裁縫のような半分家事の趣味なんかは、出来るとほんと便利ですよねー。
それと比べると、音楽鑑賞・バンド活動とかって、なかなか周りの人の役に立たない、良くも悪くも自分のための活動です。

仕事や家庭など周りのために自分の時間を使わなくてならない状況で、音楽への興味が薄れるのは、ある意味当然のことだと思います。
その状況の中で、「最近新譜聞いていないなー」と思っている時点で、怠惰ではなく、音楽への情熱があると言えるんじゃなかなって、最近思います。
この認識をスタート地点にして、音楽活動が出来ない時があっても、過剰に自分を責めないようにしましょう。

BGMがあると、家庭が邦画のワンシーンになります

そんな中で音楽活動を続けるには、どのような形であれ、周囲の人を巻き込むと良いです。
例えば子供が出来てゆっくり音楽を聞く時間が無くなったのであれば、リビングにスマートスピーカーを置いて、家族みんなが好きな音楽を流せる状況にしてみましょう。
自分以外の人が聞く環境で楽曲をチョイスし続けるのは緊張感があって楽しいですよ。
家庭のBGMを一生懸命選曲するお父さんとは、バーベキューで肉の焼き加減に苦心するお父さん程度には、家族に貢献しているのではないかと、自分では思っています。

あと、家族の趣味が聞けるので学びが多いですよ。
例えば僕の妻は小沢健二が好きで、僕はそんなにだったのですが、妻が選んだEclecticと言うアルバムは味わい深くて、小沢健二への見方が変わりました。

音楽って、うまく付き合えば家族の生活を豊かにしてくれるものだと思うんですよね。
楽器が弾ける人であれば、歌やダンスの伴奏をするだけでも子供は喜びますし、何気ないご飯の時間も、良いBGMと組み合わされば、邦画のワンシーンになります。

今でも覚えているのですが、ある日曜の夕方、用事を終えて帰宅したリビングで『くるり – その線は水平線』のイントロのリフを聞いた瞬間、人生って悪くないなって思ったんですよね。
別に妻や娘の機嫌が特別良かったとか、何か良いことがあった日だったとか、では無かったのですが、夕暮れのリビングの光景が一気にエンドロールのように見えました。

音楽にはそういう力があると信じています。

最後に

『二十歳の原点』という本があります。
学生運動に身を投じ、最後には自殺をした高野悦子さんの日記なのですが、自分と音楽との関係を考えた時、この本のことを思い出します。
この本では学生運動というテーマを通じて、戦い続けることや潔癖であり続けることの難しさ、怠惰になることへの恐れ、全てを無にする死という甘美な誘惑が描かれています。
学生の頃の自分からすると、今の僕は音楽に対し怠惰であり、生き恥を晒すくらいなら潔く音楽活動を止めろと言いたくなる状況なんですよね。
でも止められないし、続けた先に見えるものがあると信じていますし、単純に音楽を聞いたり曲を作ったりするのが今でも楽しいです。
昔のようなストイックさは失ってしまいましたが、自分なりの音楽との付き合い方を、これからも続けていきたいと思っています。

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この記事を書いた人

名古屋市在住、30代後半のドラマーです。
高校生の頃にドラムを始め、就職して、結婚して、子供が生まれても、音楽への興味が尽きません。
最近はDAWでのトラック制作や、ブログの更新が主な趣味です。
コロナ禍が終わったら、仲間達とフェスにいきたいです。

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